「お笑い文化差違」

今の家にはテレビがナイ。
なので、テレビを見る事も、まぁ、
スーパーのテレビ販売コーナーくらいだ。

以前、友人とのメールのやりとりで問われた。
「ドイツでテレビとか見て大笑いする事、あるん?」

考えた事がなかったが、どうなんだろう?

笑える。って事は、まぁ、癒し効果もある。
ドイツに来て、ストレスにまみれていた僕が
笑っている時って、いつだろう?
好きなテレビ番組は何だろう?と考えた。

「Mr.ビーン」!

なんとも、まー、
日本では、一切興味も無かったし、
ブームもとっくに去った頃、ドイツで好きになるとは。

爆笑させ、癒してくれました。
言葉が判らなくても伝わるってスゴイ!って思いました。
毎日「Mr.ビーン」の時間が来るのが待ち遠しかった。

しかし、来て、ひと月も経たないうちに「Mr.ビーン」は、
終了してしまい、以後、テレビでは一切笑えず。

いや、オースティンパワーズって映画が笑わせてくれたな。

今、新居ではテレビのない生活になりました。
テレビ見たいな〜。って相棒と、
スーパーのテレビコーナーに釘付けになる日々です。

そして、前述の友人が当時、また問うた。
「日本のお笑いでドイツ人笑わせるンならソノ線で
 やっぱ「よしもと新喜劇」なんですかね?
 間平のステッキ爺とか、オーステイン→藤井隆の線も在るし。
 でも、やっぱなんか線が違いますかねー。」

うーむ。日本のお笑いで、ドイツ人が笑う。かぁ。
どうなんだろう?日本のテレビ番組ってドイツで何かやってんのか?
アニメは別でね。アニメは、もう当り前の顔でありますから。

前に、玩具屋で子供が店員さんに「Yu-gi-oh,kaiba.kaiba.」
と言い、アニメ「遊技王」のカイバというキャラクターの何かを
欲しがっていたのですが、店員さんは、ずっーと「?」。
面白い光景でした。ドイツ人の子供が日本語(?)を喋ってるのも。

で、なんかアメリカとかでは
「風雲たけし城」が、やってて凄く人気がある、
とか読んだんですが、ドイツでは「たけし城」やってないよなぁ。
てか「たけし城」でまで、北野武は世界で活躍してるのはスゴイなぁ。

(てか「たけし城」やってるってよ〜。ドイツで。
 うわ〜!「たけし城」はきっとドイツでもウケてるんだ。
 すげー。っていうか、観てぇー!!!!! で、
 知らなかったフリ、聞かなかったフリで話を進めようっと...)

で、話を戻して、
「よしもと新喜劇」どうなんでしょう〜?
僕の個人的な勝手な見解は、

日本のお笑いをドイツに持って来ても、さっぱりウケナイと思う。
じゃ、それは、何故か?多分、シュールなんです。日本の笑いは。
日本では、関東系とか関西系とかの区別で、
シュールかベタかってよく言われます。
ドイツ人から観たら、多分どっちもシュールです。
で、日本の笑いはドイツ人からしたら複雑なんじゃなかろうか。

というような、答えでした。

今、相棒とも、この事を再度、話してみたら、
相棒は、間平のステッキ爺、はウケルかも?
で、藤井隆のオカマ芸もウケルかも。分かりやすいから。
との事でした。

日本の文化は特異なモノだ、というような文章も
時々、目にします。僕も、日本ってのは特異なのかなー。と
思います。なんか、突然変異っぽい感じ。

以下は、その後の、友人とのメールのやりとりで
僕が書いた勝手な考え。に少し、加筆、修正したもの。
箇条書きみたいになってるけども。

日本は、多分、極端っていうか、突然変異っぽい気がする。
だって、他の国の人々は何か愛国心とか、そこに自信とか、
自己主張とか、なんとなく民族性が、根本は似てそうだから。
でも、これは今一緒のクラスの人達を観てる限りなんだけどね。

やっぱり日本は変だと思うけどな、多分。
で、極端、突然変異、で複雑。だと思う。

普通に生きてて、そんなもん必要ナイやろってもんが
日本てドンドン増えるよね。
でも、ドイツ観てると昔ながらで、特に問題なければ、
何も変わらないままで、それでイイっていう感じがある。

日本人の外来文化への創意工夫とか
アレンジ能力って凄いんだと思う。
何で、こんなに不便やねん!って
思うものがドイツで結構あるから。
でも、ドイツ人は何不自由なく、
それを使ってたりするんで、感覚が違うのかも。
発想方法とか発想方向とかが、全然違う気がする。

日本は1+2=Aって問題を出すけども、
欧米は1+A=3とか、A+B=3とかって問題を出すとか
聴いた事あるけども

(実際にそうです。語学学校のテキストですらそうです。
なんなんだ?この問題の作りは。って思う事もよくある。
しかし、理解できないのは僕だけではなく、他の国出身の
クラスメイト達も、サッパリ理解できないでいたりする。)

その発想方法だけみると、
欧米の方が、頭を使うし、実りがありそうに思うけど
最近思うのは、日本の型通りの問題を詰め込まれた
日本人の方が頭がオカシクなるような気がする。
で、面白くなる。と。

でも、ほとんどの日本人は、
その型に順応してハマってしまう気がするけども、
それを詰め込まれたにも関わらず
道を外れるってのが重要かなって気がする。
日本的定型をINPUTしたのに
体が拒否反応を示して、OUTPUTが
思いもよらぬ方向になったりするっていうのがね。

で、ドイツの不便で一個思い出したのが、
トイレとフロが一緒の文化だったりします。
ま、基本的に湯舟って感覚は昔は無かった民族でしょうから、
シャワーとトイレだね。
湯舟は金があれば持ってるかもやけど、僕んちにはナイです。
それなりの家庭ではシャワーとトイレが別もあるようです。

シャワーとトイレを何故一緒にしてるかっていうと、
体のアカを洗い流すのと、排泄物を流すので、
体の汚れを流す場所って事で一つにしたらしいのね。
で、下水的にもまとめれるって発想だね。
じゃ、キッチンの汚水はどうなんねん?って思ったりもするけども。

で、日本ってのは風呂は体をキレイにする所で、
トイレは排泄する汚れた場所って感じで分けてると思うのね。
で、ずっと日本は農業で人糞を肥料にしてたわけで、
ウンコを溜めておく文化だったし、トイレが臭かったんだろうしね。
で、風呂と便所(あえて日本語で書く)は、別々の場所になったと。
で、僕は日本人なんで日本式が自然なんだけども。

そういう歴史は、まぁ、イイとして、
今、トイレとシャワーが一緒だと誰かがシャワーに入ってると
トイレには入れないっていう不便の事は欧米人は考えないのか?
って事です。ま、始まりが同じ場所だからだろうし、
お金のナイ人は同じ場所にしかできないんだろうけど。
でも、すっごく不便だよ。
それか、欧米人は人が入ってても入っちゃうのかな?

日本のワンルームマンションなんかの、
ユニットバスってのはさ、省スペースって理由だろうけどもさ。
ま、発想方法が違う感じだね。

で、話は変わって、

何ごとも度が過ぎるとオカシクなるんだよね。
で、実生活では度を過ぎると辛く苦しいモノになっちゃうかもだけど、
制作の上では度が過ぎないとダメだな、と思う。

入力処理に追われちゃって、出力できなくなっちゃうようではダメね。
それは、ブランドモノを買い漁る輩とも似ている。
彼等は何も生み出さない。ブランドを着るのも自己主張かもだけど。
僕は消費者になるのが一番イヤなんだよね。

暮らすってのは生活のみで十分で、美術ってのは余計なモノだからね。
その分、作品は、強くなくっちゃあ持たないんだよね。強度が。
(むっずかしいなぁ〜)

なんて、ふうに(判りにくく)
お笑いの話から、流れて、自分の創作の話になっちゃったのでした。
日本の文化特異性から、思考&発想法、創作の話へ、ってね。

テレビを観て、展覧会を観て、ライブを観て聴いて、
色々なモノを吸収します。そして、それが作品に反映されたりもするし、
しなかったりもする。だいたい、あからさまに反映はされないけども、
刺激は欲しいし、刺激は面白い。でも、そういうINPUTの事ばっかりに
時間を費やされると、OUTPUTから吐き出す時間ってのが減る事もある。
まぁ、モノは加減なんだけど。で、ドイツに来て、そのINPUTってのが
急激に減ったし、自分からINPUTに何かを入れる事も減った。
限られた能動的な少ないINは最低限の刺激をくれる。
で、OUTが充実しているのか?っていうと、時間はあるのに
そうでもナイ。結局、自分の問題なんだな〜。ハハ。

っていうか、花粉症、治ってくれ!(と、花粉症を言い訳にしてみる)
結局、何書いてんだか、判らないなぁー、これ。