「教会(遅ればせ)」

イタリア、DUOMOの大聖堂で
ミサに、何となく参加した際に思った
教会についてのアレコレ。
箇条書きみたいに書いちゃいます。


熱心な信者の人は、僕の心無い客観視に
怒りが吹き出るかもしれませんので
読まないように、して下さいませ。
誠に申し訳ありません。勝手な推測書いて。


教会、それは、

大勢の人が同じ方向(祭壇の方向)を観る事で
生まれる一体感を感じる事ができる。1人じゃないんだ俺!
(ライブなんかに行っても、これって宗教だな。
 って思う事もあるし、同じだな。ライブだな。)

天井が、物凄く高い。
手が届き「そう」なんて、とても思えないくらい
天井は高い。長い棒を持って来ても届きそうにない。
そんな、でっかくて、厳かな感じがある。
もちろん、神にも手は届かない。そんな感じ。

神父さんの声、パイプオルガンの音、
エコーがとっても心地良い。包まれる。
天井の高さも手伝い、重厚な、厳かな、
低音がとても気持ちよい。
教会の作りがエコーを生む構造になっている。
日本で仏教だと、このエコー自動作成装置がない為、
ノドを駆使した、エコー、こぶし、ビブラートが
お坊さん自身のテクニックで作られるのだろう。
説法には、このエコーというモノがとても大切なのだろう。
きっと、人の心に訴えかけるのであろう。
日本の歌姫達(人気歌手達ね)も、演歌も同じだな。

オルガン音楽についていうと、
ハーモニー、メロディーはとっても、豊かで、美しい。
だが、哀しく、重く、複雑でもある。
人生を物語っているようだ。

教会の内装(内装とは言わないだろうが)は
石でできた、無機色が大半を占める。これも、人生の
重さ、哀しさ、深さを表しているように思う。
そして、一方では、ステンドグラス。
とても色鮮やかで、豊か。しかし全体に対して量は少ない。
それは、人生の幸せを表しているように思ってしまう。

そして、柱などに施された彫刻。
複雑で、一見、何なのかが判らない。
人間は判らないモノを観た時に、不安感と好奇心を持ち、
何か判った瞬間から、そのモノの意味を考える。と思う。
そういう二段階で訴える構造になっている気がした。深み。
そして、彫刻達も厳かで、決して幸福的でナイ表情だ。

そして、長時間のミサで、とても寒い。
もともと教会の内部は、すでに寒いし。
この寒さ、もまた、厳かさ、身が引き締まる思い、
シャンとする、というあらたまった姿勢にさせる。
そして、冷えた肌は感覚が鋭敏になったように感じられ、
神の言葉にも敏感に反応できるような気がする。

なーんてな、
効果が一杯あるように思ったのでした、僕ぁ。
あながち、深読みでもナイと思うんだよね。
よく出来た建造物だよ、本当に。完璧なデザインだ。