「語学学習にて」

僕が通っているのは、
普通に気合いの入った語学学校ではなく
フォルクス・ホッホ・シューレという
市民学校だ。
勿論、学生ビザなんて出るわけはない。

んで、その学校の一つのコースが先日終わった。
3ヶ月という短い期間だ。
(次の2ヶ月弱のコースも受けますが)

で、その学校では、以前にも書いたが
トルコ(2人)、カナダ、マリ、ポーランド
ブラジル、マセドニア、セネガル、ボスニア、
タイ、イラク(2人)から来たクラスメイト達がいる。
最終的に一緒にクラス終了したのは上記の国の人達。

個人的な交友は続いているイギリス人のクリフや
ビザや子供の関係でキューバに帰ったアイマラや
一回しか来なかったブラジル人(名は覚えず)や
独語が結構できるトルコ系の人(名は覚えず)は
途中から来なくなってしまった。

その学校の授業では、実際に話す事が最重要で
その次に文法の勉強をする。

最後のほうであったテストでは
イラク人の1人、非常におとなしく、声が小さく
緊張すると、ドモってしまうティーンエイジャーと
僕が成績が良かったらしい。
しかし、ここで先生に言われてしまった。

その女性と僕は、ペーパーテストでは
非常に成績がイイけど、もっと話しなさい。と。
その子よりは喋っているつもりではあったけども
先生の目から観たら、大差ないんだろうな。

僕は、まぁ、日本ではお喋りなほうであります。
しかし、ドイツ語は知っている単語の少なさから
言葉も少なくなります。

クリフと英語で話す時なんかは、
ボロボロの文法でも知ってる単語をぶつけて
何とか会話をします。しかし、ドイツ語では
まだ、それは出来ないのです。

ですが、先生は間違ってでもイイから
喋りなさい、と思っています。
僕も、そのほうがイイとは判っていますが、
言葉が出ません。というか、知りません。
というか、勉強していません。
今は単語を覚える事に集中しなくては、です。

あと、僕が喋らないおとなしい生徒に見えるのは
周りの諸外国人の自己主張の影になっている
というのもあります。しかし、まぁ、そこは、
彼等を見習わなくてはいけません。

彼等は、先生の思う、間違ってでもイイから
喋る人達だからです。彼等は間違おうがお構いなし。
間違ったあとに覚えようともしていない人も多数。
しかし、繰り返し続けると結局覚えるのです。


覚えないという事で面白い事が先日ありました。
最後の授業で3種類の語学カードゲームをしました。
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1.この名詞には、どの冠詞(der,die,das)が付くのか?
 というのを順に並べる、ドミノゲーム。

2.Frage(質問)に対して、どのAntwort(答え)か?
 という、2枚ずつのカードを合わせていくゲーム。

3.文字カードと、それを表す絵カードを合わせていく
 神経衰弱形式の対戦ゲーム。
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Rot(赤)とBlau(青)チームに分けられて、1.と2.は、
同チームの2人ひと組で協力して問題を解いていきます。

1.は覚えていないとサッパリ。あとは勘です。
2.は非常に簡単。定型句だし、皆覚えています。

で、3.の神経衰弱ゲーム。これで、面白い発見をしました。
僕の対戦相手は、上記のおとなしいイラク人女性です。

で、結論から言うと、彼女、カードの位置を全く覚えない。
全部、毎回、適当に開いて、偶然当たるのを待つのみです。
僕が全部開いてしまいそうです。途中から僕も偶然制に
してみました。それでも圧勝しちゃいます。

こういうゲームがイラクでは余りないのかもなぁ、
と思いつつ、隣で繰り広げられる、もうひと組の3.ゲームを
眺めます。すると、カナダ人とイラク人だったのですが
二人も全部、偶然で、やってます。
で、その偶然を楽しんでいます。

他の国の人達のゲームは観てはいないのですが、
他にも偶然でやっている人はいたと思われます。
これは、何故でしょう?不思議に思えます。

よく判らないのですが、ドイツでよく思う事に
要領が悪い、というのがあります。
みんな、あんまり工夫もしません。不思議です。

自分が思い付いた方法が一番だと、思う人が多い。
その思い付きより優れた方法が提案されたとしても
絶対に聞く耳は持っていません。頑固です。
そういう人が多いと聞くし、僕が会った人もそうです。
他の方法に対してオープンではナイのです。
(日本語ペラペラのドイツ人の友人も同じです。笑)

ソレと、コレを、一緒に考えてはいけないけども、
意識の仕方が日本人とは明らかに違うような気がする。
日本のキチッとしてるところや、仕事が出来るところや
物を作る時の精度の高さや、スピードなどとは、
国民性の違いなのか、明らかな違いがある。

あと、更に話は脱線するし、上記の仕事のできる日本人説
とは逆行するかもだが、日本には、フリーターというものがある。
それについて、異国人が「理解できない」と言うのを数回聞いた。
正確には、ドイツ人とイギリス人の口から。
それは、定職の方が安定しているし、なぜフリーターなのか?
という事だ。定職の方がイイに決まってるじゃないか、と。

あと、日本での高給仕事を辞めて、
例えば、ケーキ屋になる修行日本人はいるようなのだが
(ちなみに相棒は、日本でも、ずっとケーキ屋ですが)
そういう日本人に、なぜ高給な職を辞めてまで
ドイツでケーキ屋という給料の安い仕事をしたいのか?と。
(ケーキ屋は給料安いようです)

はっきりとした日本人フリーターの理由は知りませんが、
今の日本では、終身雇用説が崩れたとか、
自由が欲しいとか、理由は様々で、フリーターという
選択肢を選ぶ人は、大変多いようです。
(他人事のように言いますが、僕は就職した事がありませんが)
まぁ、そういう面も今の日本にはありますね。
イギリス人にもドイツ人にも、そう、答えておきました。

んで、日本人の方が仕事ができる(人の割合が多い)とか
日本人の方が定職、安定に対しての考え方が不思議だとか
多重人格的な面も、まぁ、ありますね。民族で観ちゃうと。
話ずれ過ぎて、ヤヤこしくなって来ましたが。
(この文章自体が多重人格的。分裂。何書きたいんだ?僕ぁ)

で、どっちがイイと言うのも難しいかもしれないが
自分はドッチだ?と考えると日本人的だなぁ〜と思う。
ってのは、仕事ができる(かもしれない)というのと、
フリーターになっちゃう不確定要素も持ってるってのと
両方踏まえて、曖昧な所が、わたくし、ありまして。

そういう曖昧な所や、優柔不断だったり、
というのが、今度は逆に諸外国人には少ないと思う。

自分との利害を考え、結論を出すのに、彼等は
考える事はあっても、悩む事は少ないような気がする。
自分の利害にはシビアな人が多いな。

だから、仕事はあくまでも仕事なので、
いい加減にやっちゃってる人も多い。
凄くイヤなんだろうなぁ〜、仕事すんのが。
って一目で判る人がとっても多いから。

しかし、その分、自分の時間や、生活は
凄く大切にしているように思う。
別に贅沢な暮らしをしているとかではナク、
なんかゆとりとかを持って暮らしているような気がする。

それが、例えば、ドイツ人の大好きな庭仕事だったりして
家とは別に専用の小さい家付き庭(ガルテンハウス)まで
持ってしまってたりするのだからなぁ。全員じゃないけど。
そういう、何を大切にするか、ってのが、また確実に違う。

とにかく考え方、捉え方が決定的に違い、
それもあってか、行動にも差が出る。

もちろん細かく言うと、個人レベルの事なので
個人差で考えるのが正しい事は判っている。
日本人だから、とか、ドイツ人だから、ではナイ事も。

んで、何が言いたいか?って言うと、

繊細で、曖昧で、要領よく、正確で、着実なのと、
雑で、鈍感で、もの怖じしなく、つい行動しちゃうのと、
どっちがイイかな〜。という事。

というか、どっちも要るんだよ〜!って事。

(また、話が長くなってしまった。そして、
 意味が判らなくなってしまった。読ませてごめんなさい)