「本や文章」 人の考えを読むのは好きだ。 昔、哲学が嫌いだったのが 今になって残念に思うくらい。 ずっと、人の考えを、押し付けに 感じていたからなんだな。 本や、WEBでの文章を読むと 色々と自分1人では考えないような 発想や内容が語られる。 直接的な部分が触発されたり、 全然関係ない部分が後から 温かくなって来たりする。 でも、すぐに忘れる。 忘れるのは、人間の才能の 一つだと、凄く思うのだけれど。(笑) そして、暫く間を置いて また、それらの文章に触れる 事があったら、また違う 触発のされ方をしたりする。 僕は考えを読む事はできるけど 物語りを読む事が出来ない 可哀想な所がある。 それは、どういう事かと言うと、 考えを読んだ場合は、それを自分の事に まず置き換えて解釈してみる。 その考えを自分が使えるかどうかを、 また考える。そこで、文章との流れは ズレてはいないので、また文章(考え) に戻っても理解できる。 ので、読み続ける事ができる。 でも、物語りは、物語りとは関係 ナイ事と置き換えてしまう。非現実な 物語りを、現実の自分に置き換えた 時点で、そりゃぁ、話は変わってしまう。 一旦、自分の事を考えてしまうと 物語りの事を、スッカリ忘れてしまい もう、戻っても理解できなくなる。 だいたい、そんな感じ。小説も読めない。 もちろん絵本とかは読める(笑)。 ま、それはそれとして、 色々、面白い、実りある、為になる 考えは世の中に一杯溢れているわけだが それを読んでも忘れてしまっては 意味がない。というか、忘れてしまう という事は、全然、身体で解っている のでは、ナイのだと思う。 ほとんど忘れるだろう。仕方ない。 でも、それが、本当に自分の事になり、 自分の頭で考え、自分の身体で感じて、 自分の体験・経験になれば、 自分のモノになって、忘れる事はない。 誰の考えや、言葉に触発されて、 そういう考えに至ったのかという事を きっと忘れてしまうと思うのだけれど。 それは、別に重要じゃないのでイイ。 とにかく、自分の血肉に変える努力を しなきゃな、と思う。時間や、必要に、 左右されて、経験できる事も多いだろう けど、自分から、それを得ようとする。 それも、とっても大切なのだし。 |